火災や災害で建物そのものが失われても、記録としてその姿を未来に残すことはできます。ノートルダム大聖堂の例をはじめ、歴史的建造物の3D保存と、そのデータを活かしたツアー体験が注目されています。文化を「見る」だけでなく「体感」できる方法として、建築の記憶をどう残し、どう伝えていくかを考えてみませんか?
ノートルダムの火災から学べる教訓とは
失われたものを取り戻すことはできません。でも、その姿や空気感を記録しておくことで、未来につなぐことはできます。ノートルダム大聖堂の火災が、文化財の保存方法について私たちに投げかけたことを見ていきましょう。
世界が固唾を飲んで見守ったノートルダムの火災
2019年4月15日、フランス・パリのノートルダム大聖堂で火災が発生しました。約850年の歴史を持つこの建物は、ヨーロッパでも指折りの歴史的建築物であり、世界中がその炎上の様子をリアルタイムで見守る事態となりました。
屋根と尖塔は崩れ落ち、木造の骨組みも多くが焼失しましたが、幸いにも聖堂本体の多くは崩壊を免れました。それでも、この出来事が文化財の保存に対する危機感を一気に高めたのは言うまでもありません。
火災前に記録されていた3Dデータが話題に
火災の直後、一部のメディアや専門家の間で注目されたのが、火災以前にアメリカの学者アンドリュー・トールキンソン氏が独自に撮影・制作していた高精度の3Dスキャンデータでした。建築構造や装飾の細部にわたるこの記録は、図面や写真だけでは再現できない立体的な情報を含んでおり、当時「もしこれがなければ再建はもっと難航したかもしれない」と報道されたほどです。
ただし実際の復元プロジェクトは、当時の設計図や資料を中心に進められており、3Dスキャンはあくまで“補足資料”という位置づけです。それでも、災害前の姿を正確に「見られる」手段としての意味は大きく、多くの人に“残すことの価値”を強く印象づけました。
建物の“記憶”を体験として残すということ
建物は単に形を残すだけではなく、そこにある空気、光の入り方、人の視線の流れまでもが価値になります。3Dアーカイブによって保存されたデータは、単なる資料ではなく、「その場所にいる感覚」を伝えるメディアとしても使えます。
たとえばVRゴーグルを使えば、焼失前のノートルダムの内部を“歩いているように”感じることができます。映像や写真では得られない臨場感と、空間全体の印象まで含めて伝える力が、3Dアーカイブにはあります。
なくしてからでは遅い、文化財を守るために
日本でも歴史ある建築物は数多く存在します。しかし、すべてが完璧に保存されているとは限りません。失われる前にできることについて考えてみましょう。
文化財が突然消えることは珍しくない
日本国内でも、文化財が火災や自然災害で失われた例は少なくありません。たとえば2019年の首里城火災では、正殿を含む主要な建物が焼失しました。また、2021年には滋賀県の長浜市で国登録有形文化財の旧小学校が火災で失われました。
こうした事例を通して見えてくるのは、文化財は「守るべきもの」であると同時に、「失われる可能性があるもの」でもあるという現実です。
写真や図面では残しきれない情報がある
建築物を記録する方法として、これまで主に使われてきたのは図面や写真です。しかしそれだけでは、「その空間に身を置いたときの印象」までは残せません。建物の高さ、奥行き、装飾の立体感、そして周囲とのつながりなど、実際にそこに行かなければわからない情報も多いのです。
こうした「空間としての記憶」を残すには、3Dデータという手段が非常に有効です。
写真と3Dの違いを比較
項目 | 写真による保存 | 3Dによる保存 |
---|---|---|
平面情報 | ◎ | ◎ |
奥行き・立体 | △(視覚的には可) | ◎(回転・移動可能) |
体験性 | ×(静的) | ◎(動的・主観操作可能) |
保存精度 | 高解像度次第 | スキャン精度による |
構造把握 | × | ◎ |
保存するだけでなく「展示にも使える」という強み
3Dデータで記録しておけば、それを元にバーチャルツアーや展示コンテンツとして活用することができます。たとえば、実際の建物に入ることができない状況下でも、Web上で内部を“体験”できる3Dツアーとして公開することが可能です。
こうした展示方法は、施設の来場者サービスとしてだけでなく、観光・教育・地域文化の発信手段としても効果を発揮します。
保存と展示の両立を叶える3Dアーカイブ
従来の保存方法は「記録」の側面が強く、一般公開や体験との相性がよくありませんでした。一方、3D保存はそのまま“見せるコンテンツ”にもなり得ます。つまり、学術的価値とエンターテインメント性を同時に担える柔軟なフォーマットです。
文化財が保存されるだけでなく、多くの人に触れられ、理解される存在になることで、その価値はより広く深く認識されるようになります。
ただ残すだけじゃもったいない、見せて伝える保存のかたち
記録するだけで終わらないのが、3Dアーカイブの大きな魅力です。保存と発信の両立ができるからこそ、文化財はもっと身近に感じられる存在になります。
空間そのものを丸ごと記録するという発想
3Dアーカイブは、単に建物の形をデータ化するものではありません。空間全体を記録し、あとから好きな角度で見られるようにすることで、建築そのものが“体験可能な情報”になります。
平面図では伝わらない空気感を残す
建物の構造やサイズ感、窓から差し込む光の向き、天井の高さ、足元の素材感──そういった空気ごと残すのが3Dの強みです。訪れたことがない人でも「ここに立っているような感覚」が得られるのは、3Dならではの体験です。
後世に正確なイメージを引き継げる
年月が経てば建材も色味も劣化します。3Dアーカイブによって、いま見えている文化財の状態を精密に記録しておけば、将来の修復や研究にも役立ちます。「どこがどう変わったか」「どこまでが当時のままか」が分かることには、大きな意味があります。
教育や観光にも広がる3Dの力
3Dで保存された空間は、単なるデータではなく、活きた教材にも、観光資源にもなります。
学びの場を広げるデジタル教材に
学校現場では、遠足や見学が難しい歴史的建造物を、教室にいながら3Dツアーで体験する取り組みが始まっています。構造や装飾の特徴を自由に観察できるだけでなく、「その空間を歩いてみる」ような学び方が可能になります。
実際の訪問へとつなげる観光活用
観光のきっかけとして、事前に“空間を体感”してもらうことはとても有効です。たとえば文化財を公開している施設がWeb上で3Dツアーを用意すれば、「行ってみたい」と思う動機づけになります。
観光サイトやパンフレットに掲載する写真の代わりに、3Dツアーを組み込むことで、より強い印象を残すプロモーションが可能になります。
地域文化を“持ち帰れる”時代へ
3Dで保存された文化財は、見た人の記憶にも長く残ります。現地で実際に見たあとに、家でもう一度その空間を3Dで見返せる。そんな仕組みがあれば、旅の記憶はもっと深いものになります。
また、地域の伝統建築や街並みの雰囲気を、イベントや展示で“再体験”できるコンテンツとして再利用することもできます。「その場だけ」の体験を、時間や場所を超えて伝えられるのは、3Dならではの価値です。
見せるなら、ちゃんと伝わるつくり方を
どんなに精度の高い3Dデータでも、それだけでは伝わりません。見る人にとって“わかりやすく、体験しやすい”工夫が必要です。
撮っただけでは“伝わらない”
3D化された建物データは、ただ並べただけでは情報が多すぎたり、逆に重要な部分が目立たなかったりします。大事なのは、「どこを、どの順番で、どう見せるか」という設計です。
無駄なく伝えるための構成設計
● 見せたい順序を考えてナビゲーションを設計する
● 各ポイントに補足情報を加える(音声・テキスト)
● 見せる空間に目的を持たせる(何が“感じられる”空間か)
こうした要素がそろってはじめて、3Dツアーは「わかりやすい体験」になります。
見る人の視点に立った設計が必要
使うのは、設計者や撮影者ではなく、“これから初めて見る人”です。その人が迷わず、違和感なく体験できるようなデザインを考える必要があります。
わかりやすさのヒントは「紙のパンフレット」
従来の展示施設では、パンフレットが「どこを見ればいいか」を教えてくれました。3Dツアーでも同様に、「どこを選べばいいか」「ここは何を見るところか」という導線を視覚的に用意することが重要です。
視点の動きやカメラの高さ、説明の出し方一つで、体験のわかりやすさが大きく変わってきます。
“魅せる”仕掛けも加えてみる
文化財を「ただ見せる」のではなく、「どう伝えるか」を考えると、より多くの人に興味を持ってもらえるコンテンツになります。
● シーンに合わせて環境音やBGMを入れる
● 日中・夜間など時間帯を切り替えられるようにする
● 昔の姿との比較をできるようにする(Before/After)
情報だけでなく感情にも働きかけるような仕掛けがあれば、3Dツアーはより深い体験になります。記録から発信へ、見るから感じるへ。そんな“伝わる”保存設計が求められています。
文化財の3D化、どんな方法が使われている?
建物や文化財を3Dで残すには、専門的な技術が必要です。でも、仕組みを理解すれば「意外と現実的かも」と感じるかもしれません。代表的な撮影方法や導入までの流れを、できるだけわかりやすく紹介します。
撮影方法には種類がある
文化財の3D化には、大きく分けて「フォトグラメトリ」と「レーザースキャン」という2つの方法が使われています。それぞれに向き不向きがあるので、対象物に合わせて選ぶことが大切です。
フォトグラメトリは“写真を立体化”する方法
デジタルカメラで複数の角度から写真を撮り、ソフトウェアで立体的な形状を再構築するのがフォトグラメトリです。比較的安価に始められるため、導入のハードルが低いのが特徴です。
- 特徴:美術品や小規模建築、内装などに向いている
- 長所:カメラとPCがあれば可能。柔らかい質感まで再現できる
- 注意点:写真の精度と枚数に大きく左右される
レーザースキャンは“点群”で空間を捉える
専用のスキャナーを使って、対象物の形状を数百万〜数億の点の集合(点群データ)として取得するのがレーザースキャンです。建物全体や地形の記録に適しており、精度も非常に高いです。
- 特徴:大規模な構造物や屋外環境の記録に適している
- 長所:高精度・高密度なデータが取得可能
- 注意点:機材が高価で、取り扱いにも専門性が求められる
比較してみると…
項目 | フォトグラメトリ | レーザースキャン |
---|---|---|
初期コスト | 低〜中(カメラ+PC) | 高(専用機器が必要) |
精度 | 中(写真に依存) | 高(構造物の計測に強い) |
向いている対象 | 小規模建物、展示品、装飾、屋内 | 大規模建物、外観、地形、構造物全体 |
専門知識の必要度 | 低〜中 | 高 |
撮影スピード | やや時間がかかる | 現地での撮影は比較的早い |
どんな流れで3Dデータが完成するのか
技術の種類がわかったら、次は実際の流れについて見ていきます。現場では、以下のようなステップで3Dアーカイブが制作されています。
1. 対象と範囲を決める
まずは、何を、どの範囲まで残すのかを明確にします。屋内外すべてを記録するのか、それとも外観だけでよいのかによって、撮影方法も変わってきます。
2. 撮影・スキャンを行う
フォトグラメトリなら数百〜数千枚の写真を、レーザースキャンなら各ポイントからスキャニングを実施します。足場の確保や天候など、現場での対応力も重要になります。
3. データ処理・復元作業
撮影したデータは、ソフトウェアで3Dデータに再構築されます。この工程で、歪みの補正や不要物の除去、テクスチャの貼り付けなどが行われます。
4. 閲覧・公開用に調整
最後に、Webやアプリ上で閲覧できるように軽量化・インタラクション設計を行います。見る人がストレスなく体験できるように、操作性のチューニングも重要です。
便利そうに見えても、課題はある
3Dで文化財を記録するのは魅力的ですが、実際にやろうとするといくつかの現実的な課題にも向き合うことになります。
コストと精度のバランスをどう取るか
高精度のデータを目指すほど、必要な機材や作業時間は増えていきます。予算が限られているケースでは、どこまでを3D化するか、どの程度の精度を求めるかという判断が必要になります。
最初から全部やらなくてもいい
「部分的にフォトグラメトリで記録し、重要箇所だけレーザースキャンする」といった組み合わせも可能です。無理に完璧を目指すより、実現可能な範囲で始めてみるのも選択肢です。
対象物によって難易度が大きく変わる
木造の古建築は暗くて入り組んだ構造になっていたり、ガラスや金属の装飾は光の反射で撮影が難しかったりします。さらに、現地が立ち入り制限区域になっている場合もあり、撮影自体が難航することもあります。
自然光や天候も大きな影響要因に
屋外撮影では日差しの強さや時間帯、影の出方などによってデータにムラが出ることがあります。予定通りに進めるためには、現場での臨機応変な対応が欠かせません。
扱うには知識と技術が必要
撮影からデータ処理、そして公開用コンテンツへの変換には、それぞれ違ったスキルが求められます。「記録する人」「編集する人」「活用する人」の役割分担と連携が必要で、担当者1人ではすべてをカバーするのは難しいこともあります。
専門家の協力も視野に
だからこそ、すべてを内製しようとせず、必要な部分で専門家に協力してもらう体制づくりが現実的です。相談できるパートナーを見つけることが、成功への第一歩になるかもしれません。
地元の建物が“デジタル文化財”になる日も近い
日本各地でも、文化財や歴史的建築物の3D化が静かに始まっています。保存のためだけでなく、観光や教育への活用も広がりつつあります。いくつかの実際の取り組みを紹介します。
残された建物を記録として活かす取り組み
歴史ある建物が解体や修繕を控えるタイミングで、3D記録を行うケースが増えてきました。
公共施設の解体前に記録された例
兵庫県丹波篠山市では、老朽化した旧庁舎(旧篠山町役場)を解体する前に3Dスキャンを実施し、VRコンテンツとして市民に公開しました。建物の細部を残すことで、当時の暮らしや市政の様子を「見える形」で記憶として保存できたのがポイントです。
建築の“中身”まで残しておく意義
単なる外観の写真だけでなく、室内の間取りや装飾、光の入り方なども含めてアーカイブされることで、後世にとって貴重な調査資料や文化教材としての価値が生まれます。
まち全体をデジタルで歩けるようにする
観光や街歩きに活かす例もあります。歴史ある街並みを3D化して、オンラインで“歩いて”もらう取り組みです。
昔のままの街を疑似体験できる事例
熊本県山鹿市では、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている豊前街道エリアの一部を3Dで再現。古い商家や温泉街の建物をスキャンし、ブラウザ上で自由に移動できるコンテンツとして一般公開しています。
訪問前の情報提供にもなる一方、現地に足を運べない人にも「地域文化を体感してもらう機会」をつくることができています。
現地観光との相乗効果も期待
実際に山鹿市では、この取り組みが観光案内所のPR施策とも連動しており、デジタル体験が実際の訪問へとつながる効果も生んでいます。
教室から文化財へ“足を運べる”ようにする
教育現場でも3Dツアーを取り入れる動きが始まっています。文化財の活用が教室の外に出なくても実現できる時代になりました。
小中学校での活用モデル
宮崎県都城市では、市内の文化財を3Dで記録し、小中学校の授業でタブレットからアクセスできるよう整備。児童が地元の神社や石碑を“歩きながら学ぶ”という体験ができるようになりました。
授業に合わせて「見るべきポイント」が示されていたり、解説がセットになっていたりするため、ただの映像教材よりも“自分で学ぶ感覚”が生まれやすい構成になっています。
修学旅行や総合学習にも広がる可能性
一度記録された3Dデータは、他の地域の学校でも使えるように共有することで、広域的な教育資源にもなります。学びを深めるための“素材”としての活用が進めば、文化財の社会的役割も大きく変わっていきそうです。
データはつなぐ道具、記憶は人が残す
技術だけでは文化を守りきれません。でも、つながるための仕組みをつくることはできます。文化財の3D保存が果たせる役割を、あらためて整理してみましょう。
すべて完璧に残す必要はない
「全部を3Dで残さなきゃいけない」と構える必要はありません。たとえば、外観だけでも残せば、将来その建物を思い出すきっかけになります。印象的な空間や装飾だけに絞る方法もあります。
大切なのは、“何をどう残すと、未来の人が感じ取れるか”という視点です。完璧を目指すより、意味のある記録を優先するという考え方が、より多くの人の共感につながります。
ネクフルがサポートできること
ネクフルでは、3D撮影の手配やコンテンツ設計だけでなく、「どの範囲を残すか」「どう見せると伝わるか」といった設計部分も一緒に考えることができます。
● 撮影・編集から公開設計までをワンストップで対応
● データの軽量化やスマホ対応なども相談可能
● 観光・教育への活用も視野に入れた導入支援
導入の規模に関わらず、「まずは一部分から始めてみたい」というご相談にも柔軟に対応しています。
人の記憶に残る文化を、体験を通して届ける
文化は、見たものよりも“感じたもの”のほうが記憶に残ります。3D保存は、その感覚を届けるためのひとつの手段です。
建物の中に立ち、まわりを見回したときの印象。階段を上るときの視線の高さ。窓から入る光。そういったものが「その場所の記憶」をつくります。
文化財を、ただ保存するだけでなく、体験として共有する。そのために3Dという選択肢があることを、多くの人に知ってもらえたらと思います。